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2020-04-11

父との時間(1)

わたしの父は2週間前に82歳になった。2ヶ月ほど前に人生初の開腹手術をして、手術は成功したものの長い入院で筋力が著しく落ち、歩くことが難しくなっていまもまだ入院中だ。

若いころはバスケットボールの選手、わたしが小さかったころも常に元気で強くて力持ち。父が風邪を引いて寝込んでいたという記憶もまるでない、というか、たぶん寝込んだことなんて一度もないんじゃないかしら。

それが、70になるくらいからだんだんと体調が崩すことが多くなり、人一倍体力のあった父が、体を動かすのを面倒がるようになってしまった。動かないとよけいに動かせなくなり、坂を転がるようにどんどん筋力が落ちていく。血管ももろくなって血行障害も起きはじめ、80歳になるころには、転ばずに歩くのがやっと、という状態にまでなってしまった。

いま、新型コロナウィルス感染予防のため、父に面会に行くことができない。毎日お見舞いに行っていたときには心身ともに疲れて、「これがいつまで続くんだろう」と途方に暮れたりもしたけれど、顔を見られなくなると、それはそれでとてもさみしい。欠点だらけ(わたしだってそうだ)の父だけど、わたしはつくづく、父のことを好きなんだなあと思う。

いや、もちろん、大っ嫌いだと思ったことも数えきれないほど、ある。でも、いまこうして、会えない父のことを思うとき、わたしの中には憎しみも悪意も敵意も、そういう類のものは何一つ浮かんでこない。ただただ「会いたいな」という思いがじんわりとしみ出てくるだけ。そしてそのことを、ほんとうにラッキーだと、ありがたいことだと思っている。

あるとき、わたしが心から慕う年上の男性にこう聞かれた。「あやちゃんは、お父さんと仲がいいでしょう?」。わたしが「そうですね、仲良しです」と答えると、やっぱり、というようにうなずいて、そう思われた理由を話してくれた。「お父さんに可愛がられて育ち、大人になっても良い関係を保っている女性は、男性に対して身構えないんだ。ごく自然に接することができるし、だから男性のほうもへんに気をつかうことなく、楽につきあえる。あやちゃんはきっとそうなんだろうと思った」。

たしかに、わたしは男性をこわいと思ったことはないかもしれない。そのことについて深く考えたことはなかったけれど、その大きな部分が父との良い関係に由来しているということに気づかせてもらい、あらためて自分の幸運を実感している。

 

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