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2020-04-14

父との時間(2)

父は生まれながらのガキ大将だった。本人や周りの話を総合して、これは間違いないと思う。

一つの理由は体が大きいこと。男7人女2人の9人兄弟の中でも、一人だけ群を抜いて大きな体をしている。だから、わたしの従兄弟たちは父のことを「大おじちゃん」と呼ぶ。

戦時中、祖父母の出身地である山形に疎開するものの、あまりの暴れっぷりに「マサヒロだけは預かれない」と一人だけ横浜に帰され、しばらく祖父と二人だけで生活していたようだ。幼い父が、祖父とどうやって横浜で暮らしていたかすごく興味が湧くが、そのときのことを聞いても、あまりに昔のことだしあまりに幼かったしで、父自身も思い出せないらしい。

10年ほど前、家族旅行で父が疎開していた山形の村を訪れた。小さな神社の参道に灯籠が立っていて、父がその灯籠の一つを懐かしそうに撫でていた。その灯籠こそ、父が疎開先から追い出された原因の一つだったのだ。
というのは、ある朝、灯籠が倒れていたのが発見され、犯人を探そうにも見つからない。そこで、犯人に仕立て上げられたのが父だった。父は、自分はやってないのに犯人と決めつけられて、さぞ悔しかったと思う。

「俺じゃないって言わなかったの?」と聞くわたしに、「そんなこと言っても無駄だから言わないよ」
”やったのはマサヒロだ”と決めてかかっている大人に何を言っても無駄だ、と。わたしはこの話を聞いて、映画『スタンド・バイ・ミー』でリバー・フェニックスが演じた男の子のことを思い出した。ただ、父はほんとうに灯籠を倒してなんかないのだけど……。

濡れ衣を着せられてから60年後、小さな神社には不似合いなほど立派なその灯籠を見て、「こんなの子どもが一人で倒せるわけないのにな」と父がつぶやいた。父の表情には恨みのようなものはみじんもない。よく考えれば、父は横浜から疎開してきて、おとなしくしていればいいものをいたずらしたり暴れたりしていたのだから、疑われるにじゅうぶんな材料があったのかもしれない。でも、わたしだったらどうにかして疑いを晴らそうとしただろうし、それができなければいつまでも恨めしく思ったと思う。

父は、何についても「だって、しかたないじゃん」というところがある。あきらめがいいし、割り切りが早くクヨクヨしない。それは、貧しい上に子だくさんの家に育ったからかもしれないし、彼が生きてきたなかで身につけてきたものなのかもしれない。言葉が得意ではないというのもあるとは思うけど、クドクドと言い訳したり自分を正当化しようとしないところ、潔くていいなと思う。

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