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2019-05-20

骨がかゆい

わたしはよく、どんなかゆみかを表現するとき、「骨がかゆい」と言っていました。ガリガリでほとんど肉がなくなっていたので、きっと骨自体がかゆいんだ、わたしの骨がかゆみの原因に違いない、と真剣に思っていました。

それに、かゆみが移動していく感じが、まるで虫が歩いているような感覚だったので、わたしの皮膚の下に小さな虫が入り込んで、わたしの血管のなかを歩いているんだ、とも思っていました。いま思うと本当におかしな考えですが、そのときは、きっとそうに違いないと信じていたのです。

わたしは自分では、トイレに行くことと、ものを食べることと、お風呂に入ることしかできなかったので、家族に面倒を見てもらっていました。明け方、身体中をかき疲れてエネルギーがようやく切れると、やっとのことで眠りに落ちます。だから目が覚めるのはお昼も近くなってから。このまま目が覚めなければどんなにいいだろう、このまま、この醜い体ごと消えてしまえれば、わたしが存在したという事実も一緒に消してしまえたら、どんなに体も心も楽になるだろう……。誰か、わたしを一瞬で殺してくれないだろうか、そしてわたしをどこかへ運んで、わたしがいた証拠もすべて消してくれないだろうか……。

どんなに願っても、そんなことが起きるはずはありません。目が覚めた瞬間から、またかゆみと痛み、不安と後悔がぎっしり詰まった地獄の一日が始まります。生きていることがほんとうにつらかった。何もできない自分を、なぜ神様は生かしておくのか、まるで理解できませんでした。理解できないけれども死ねないので、ただただひたすら痛痒に耐え、わたしは日々を必死で生きていました。

かゆみと痛みから解放されたいま、生きるのがとても楽になりました。もちろん、違う種類のつらいことや悩みはたくさんあります。でも、かゆみと痛みに自分の人生を奪われているような苦しさはありません。あの苦しみを耐え抜くことができてほんとうによかった。いま、こうして生きていることをあたりまえのように思っていますが、ほんとうはそうじゃない。そのことを忘れないようにしなければ、と思います。

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