元気になりたい
アトピー闘病時代でも一番ひどかったとき、わたしは実家で両親に面倒をみてもらっていたのですが、一日中ただ座っているしかできなかったわたしは、1冊のノートを持っていました。たしか無印良品の、表紙にも何も書かれていない、そして中の紙はわらばんしのようなザラッとしたものだったと思います。
わたしの手は空気に触れると痛くて痛くて、その痛みはまるで剣山を手に打ち付けられているようなものでした。心臓が脈打つのに合わせて、手に激痛のリズムが刻まれるのです。だからなるべく空気に触れないよう、いつも手をおしりの下に挟んで座っていました。では手袋をしていればいいじゃないか、と思われるかもしれません。それも試したことはあるのですが、手袋はしていられないのです。というのは、常に体をかいているので、綿の手袋でも絹の手袋でも、肌をよけいに傷つけてしまいます。自分の生の手でかかないと力の調節がうまくできず、布の摩擦でよけいに肌が傷むのです。
そういった理由で手をおしりの下に敷いているので、大好きな本を読むこともできず、ましてや文字を書くなんて、あのころのわたしにとっては、苦行以外のなにものでもありません。数秒でも手を外に出すのがこわいのですから……。
でも、わたしは一日の間に、どうにか勇気を振り絞れそうなときを見計らってノートを取り出し、なんとかペンを握って、たった一行、文字を書いていました。できる日もあれば、どうしてもできない日もありました。たった一行を書くことがわたしにとっては大仕事だったのです。
その一行は毎回同じ。
「元気になりたい」
その7文字を書けるとわたしは安心し、急いでノートとペンを片付けます。そして、今日は書けた、と安堵のため息をつくのです。
ただただ、元気になりたい。外に出られるようになりたい。手を剣山で叩かれる痛みから逃れたい。それ以外に何もいらない。そう、思っていました。
元気になってしばらく経ったころ、わたしはそのノートを捨てました。
”これを取っておいて、何かつらいことがあったときに見直そうかな”とも考えましたが、そんな小細工はやめようと思いました。そんなもの見直さなくてもさまざまな困難を乗り越えられる自分でありたいと思ったのです。
そして、何より、自分の弱々しい字が悲しくて、その字を見たら、またあのときの自分に戻ってしまいそうでこわかったのです。
あのときの自分の心細さを思い出したら、また自分が弱々しい存在になってしまうのではないかと、自分の弱さの証明のようなあのノートをそばに置いておきたくなかったのです。
いまだったら、あのノートを見ても大丈夫だと思えます。もう、あのときの弱々しいわたしはいません。わたしはあのときよりも強くなった。あのアトピーを乗り越えられたから、あの経験をしたから、わたしは強くなれたのだと思います。
もちろん、いまも弱い部分はたくさん持っていますが、アトピーの経験を自分の大事な歴史として、いまの自分をつくってくれた大切な財産として考えることができます。
7文字を書くことが精一杯だったわたしが、こうしてたくさんの文字を連ねることができるようになった、そのことがほんとうにうれしいのです。
いまつらい思いをされている方も、ほんとうに苦しいと思いますが、どうか希望をもって日々をなんとかしのいでください。命あるかぎり体は変わっていきますので、ほんの少しずつ良い方向に進んでいけばよいのです。どうか焦らず、どうか気持ちを楽にして……。
だいじょうぶ、だいじょうぶ、だいじょうぶ。
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