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2019-03-14

かゆみはさまざまな苦しみを生む

かゆみというのは、いろいろな心地悪さを生むものです。かゆみに苦しめられている本人だけでなく、四六時中体をかいている人の周りにいる人も、とてもつらいものなのです。

誰かが体中をかきむしっているのを見るのはいたたまれない。それと同じくらい、自分が我慢できずに体をかいているのを見られることも、ほんとうにいやなことです。だから、わたしはアトピーで苦しんでいるとき、家族と一緒にいるのもつらかった。家族とはいえ、自分を見られるのが恥ずかしいのです。できればこんな、かゆくて醜い体をこの世から消してしまいたい。そうすれば誰の視界にも入らずに済むのに…、そう思っていました。

わたしの全身は、それはそれはひどい状態だったので、仮にひどさが10段階だとすると最高にひどい10だったとき、服を着ることができなくなりました。皮膚が皮膚の役割を果たしていない状態だったので、そこに布がくっつくことが耐えられないのです。夏だったので、わたしはちりめん素材のゆかたのような寝間着を買ってきてもらい、それをソーッと羽織っていました。そして寝るときも、その寝間着の上にシーツを1枚ソーッとかぶって寝ていました。肌というバリアがないゆえに体の水分がどんどん出てきてしまうので、わたしの肌の表面はいつも湿っていて、夏でも寒くてしかたありません。なので、どんなに暑い日でもエアコンもつけず、窓も締め切って、温室のような部屋でただジッとしていました。あの夏は、わたしの面倒を見てくれていた両親にとってもほんとうにたいへんな夏だったと思います。みんなは暑いので、もちろんエアコンで部屋を涼しくしたい。でも、わたしはエアコンのきいた部屋に入るなど、想像しただけで震えるほどなのです。極寒の地の凍った湖のほとりに、濡れたゆかたを一枚着て立っている、というようなイメージ。

なので、エアコンのついた部屋にはいられず、ごはんも2階の自分の部屋に運んでもらっていました。部屋にごはんを運んでもらうなんて、ほんとうに、わたしは入院患者のようでした。

あのときのことは、いまも鮮明に覚えています。毎日がつらくて、地獄につきおとされてしまったような絶望感。いつまで我慢すればいいのだろう……。誰も教えてくれませんし、我慢したからといってよくなるという保証もありません。ほんとうに心細くつらい時間が延々と続いていました。

でも、いまはどこもかゆくないし、痛くない。生きているかぎり、細胞が生まれ変わっているかぎり、体は変われるのです。それだけは、確かなこと。だから、どうぞ、いま苦しんでいる方がいらしたら、希望を失わずにいてください。きっときっと、元気になります。

だいじょうぶ、だいじょうぶ、だいじょうぶ。

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