「死んでいい?」
脳が動くから、心が感じるから、自分の状態がよけいにつらい。わたしの脳と心は自分の苦しさを増幅するためだけに、せっせと動いていたように思います。実際、苦しんでいる人は、その苦しさの渦に飲み込まれてしまうと、自分からどんどん流れの激しい渦の中心に頭を突っ込んでいって、流れに逆らってでもそこから逃れる方法を探すという選択肢があることも忘れてしまうのだと思います。あるいは、そちらの道に進む気力もなくなってしまう……。
ただでさえ苦しいのに、自分で自分をもっと苦しめてしまうことってありませんか? あの時代のわたしが、まさにそうでした。
わたしの体は、元気になりたいというわたしの意志なんかおかまいなしに、わたしをこれでもかといじめているようでした。自分のものなのに、わたしの望みをまるで聞いてくれず、反対方向へわたしを連れて行こうとする体。せめて心だけはしっかりと元気で、自分を明るい方向へ導いてくれる存在であってほしいのに、心までもが悪魔のように不安や後悔の雨を降らせてくる……。わたしは、ほんとうに孤独でした。
物理的には、わたしは孤独ではなく、家族に毎日しっかりとサポートしてもらっていました。父はすでに仕事を引退して家にいましたし、母は仕事をしつつも、朝に晩に、毎日わたしの面倒を見てくれていました。結婚して実家のそばに住んでいる姉も、仕事の帰りに寄ってくれては、職場でその日あったことなど、たわいもない話をしてわたしの気を紛らわせてくれました。
わたしの部屋は2階の一番奥にあるのですが、階段をのぼってくる足音で、それが母か父か姉かすぐにわかります。母はトントントントン、父はもう少しペースが遅く、そして重い足音です。姉はタッタッタッタッと駆け上がってきます。姉はいつも元気で精神も強い人で、わたしがどんなにアトピーでめげていても、それに引きずられることはありません。なので、わたしは遠慮なく弱音を吐くことができました。
姉がわたしの部屋のドアをコンコンとノックし、「やあ」と言って部屋に入ってくると、わたしはいつも「死んでいい?」と聞いたものです。姉は「ダメ」と答えます。わたしたちの合言葉のようなもので、そのあと何事もなかったかのようにふつうの会話に移るのですが、「死んでいい?」と気軽に聞ける相手がいることが、どれほどわたしの心を軽くしてくれたことでしょう!! もちろん冗談なのですが、でもその一言は、「わたしは今日も死にたいほどつらいよ。でもがんばって生きているよ」という気持ちを表していて、それを受け止めてくれた姉の「ダメ」という返事は、「わかってるよ。でもきっとよくなるよ」という励ましの言葉なのです。
母には、「死んでもいい?」と聞くことはさすがにできませんでした。おなかを痛めてわたしを産んでくれた親だからだと思います。そして、わたしが「死んでもいい?」と聞けば、きっと涙を流しながら「一緒に死ぬ」と言うでしょう。自分勝手もはなはだしいですが、母の涙を見るのはいやなのです。自分が泣くよりもずっとずっとつらいのです。自分の涙は、その塩分がアトピーの肌にしみるので、それもとてもつらいのですが……。
あのころはほんとうに毎日が地獄でした。でもわたしはいま、かゆくも痛くもない肌で笑っています。あなたもきっとよくなります!
だいじょうぶ、だいじょうぶ、だいじょうぶ。
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