父の顔を見られなかった
アトピーが一番ひどかったとき。母と父、そしてアネにしか会わない日々ですが、家族がわたしの醜い姿を見なければならないことをほんとうに申し訳なく思っていました。わたしが気が狂ったようにボロボロの肌をかきむしる光景は、まさに地獄絵図です。なるべく家族の前ではしないようにしていましたが、わたしの顔を見るだけでもつらかったと思います。とくに、父。30を越えていても父にとってわたしはかわいい(?)娘です。そんな娘が、こんな姿になっているというのは、どれほど心が痛むことだろう…、そう考えると、父の顔をまともに見ることができませんでした。同い年の娘さんたちには、結婚して、親に孫の顔を見せてあげている人もいるのに、わたしは……。そんな、元気だったら思いもしないようなことまで考えたりしていました。
アトピーになる前、わたしには長くつきあっていたボーイフレンドがいたのですが、結婚という話が出たとたん、わたしはなぜか恐れをなして逃げてしまいました。結婚のイメージがまるでわかず、心の準備ができていなかったのだと思います。そしてアトピーになって、恋愛はおろか、人と会うこともできなくなったわたしは、「あのとき結婚していたら、こんなに苦しい思いをすることはなかったのかもしれない。あのとき人の心を傷つけた、これは罰なのかもしれない……」と考えたりもしました。もちろん、そんなはずはありません。わたしのアトピーは、長い間のわたしの生活習慣の結果です。でも、すべての原因を自分がつくったという事実を、当時のわたしはどうしても受け入れられず、どうにかしてほかに原因を見つけ出そうとしました。そうやって、自分を悲劇のヒロインに仕立て上げようとしたのです。あのとき結婚しなかったのは自分の意志なのに、病気になったらそれを後悔する。ほんとうに、我ながらなんて身勝手なのだろうと思います。
わたしはもともとあまのじゃくな人間です。集団行動、つまり周りと歩調を合わせることが苦手だし、計画を立てたり、計画通りに物事を進めるのも不得意。いつも”なりゆきまかせ”で生きてきました。その性格はふだんの生活にもそのまま投影されていて、健康を守るための自分なりのルールなどはいっさいなく、夜中までダラダラと仕事をしたり、そのためにいつも寝不足だったり、適当な食事ばかりで必要な栄養も補給せず、自分では一生懸命やっていても、外から見たら気ままな生活。その”気まま”の代償が、”自分の健康”だったのです。パッと見には”がんばってる”、でも実際は”自分の時間や生活の管理ができず、自分の体を痛めつけている”。そのことにも気づかないほど、わたしは若く、無知で、鈍感でした。
どんなことになろうとも、自分の面倒を自分で見られればまだいいのですが、気の向くまま、自分の好きなように生活し、病気になって何もできなくなり周りに迷惑をかけるようでは、困ったものです。自分の体の声は自分にしか聞こえない……。だから、きちんと耳を傾けて体を壊さないようにしなければ。それは自分のためだけのことではなく、周りに対する心配りでもあると思うのです。
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