”わたしで”生きる
闘病時、家から出られなかったわたしが外界の様子を知るのはテレビを通してでした。ニュースなどで外を歩いている人が映ると、どんなに寒いときでも暑いときでも嵐のときでも、”服を着て外に出られる”というそのことが、ほんとうにうらやましくてしかたありませんでした。
あの人になりたい、あの元気な人と代われたらどんなにいいだろう……! でも、ふと考えるのです。”本当にあの人になったら、わたしはしあわせなのだろうか……?”
”あの人”になったら、”このわたし”の心もどこかへ行ってしまう。今までのわたしもすべて消えて、こんなに献身的にわたしの世話をしてくれる母や父や姉の存在も消えてしまい、まるで知らない人の人生を生きることになる。アトピーではなくなって、自由に外に出られる体になったとしても、それで本当にハッピーだろうか……? さんざん考えた挙句、行き着く答えはいつも「NO」でした。
こんなに苦しいのに、これほど自分の体が憎いのに、わたしは”自分の人生”をまるごと捨ててしまいたいとは思えない。いまは本当につらいけれど、わたしはわたしであることをやめたいわけではない。わたしは”わたしで”生きていきたいんだ……。かゆみと痛みのなかようやくそのことを確認すると、いつも少しだけ安心したものでした。
その確認ができなかったら、つらい日々に長い間ひたすら耐えて、元気になる日を迎えられたかどうか、自信はありません。どんなに苦しくても自分の人生を愛することができて、ほんとうによかったと思います。
生きているといつ何があるかわからない。でも、自分の人生をちょっとでもよくしたり、大切に思えるように日々を過ごすことが、とても大事なんだといまのわたしにはわかります。何があっても、自分の人生をわたしらしく最後まで生きる。それがわたしの人生の目標です。
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