小さくても希望を胸に抱くこと
アトピーの症状が一番ひどかった時期、わたしは実家で面倒をみてもらっていたのですが、そのころはほんとうによく食べました。おなかがすいてすいてしかたないのです。そして、いくら食べてもガリガリに痩せていました。体重をはかる気力もなかったので確かなことはわかりませんが、きっと今より7、8キロは少なかったのではないかと思います。どんなに食べてもちっとも太らない。骨の形がわかるほどガリガリ。きっと、一瞬も休まずかゆみと闘っていたので、ものすごいエネルギー消費量だったのでしょう。椅子の上からまったく動かず、動かしているのは体をかく腕と手だけなのに、です。
元気になってから母が言っていたのですが、わたしが布団にいても体の厚みがないから人が寝ているとは思えないほどペチャンコで、姉と二人で「薄いね…」と話していたそうです。筋肉も脂肪も落ちて体が細く小さくなり、きっとそのころのわたしは生気も薄れていたのでしょう。体をかいたり痛みを我慢することにすべてのエネルギーを使い、なんとか“生存”していましたが、“生きて”はいなかったのだと思います。それはそうです。だって、“生きて”なんていたくなかったのですから…。
”生命力”という言葉がありますね。人がほんとうに”生きている”かどうかは、この”生命力”があるかないかで決まるのかも……。あのときのわたしには、生命力はなかったなあ。毎日死にたいと思ってた。でもそれは、”このつらさから逃れたい”、”こんなにつらいのなら死んでしまいたい”という意味であって、ほんとに”死にたい”わけではなかったのです。ほんとのほんとは、”元気になりたい”、”もう一度外の世界で自分らしく生きてみたい”と思っていました。あのときは、また元気になれる自信がまるでなかったし、そんな望みを持っても叶わないからガッカリするだけ。だったら望みなんか持たないほうがまし、とさえ思っていましたが……。
やはり、生きる希望を捨ててはいけないのです。わたしが毎日やっとのことでノートに書いた「元気になりたい」の一行は、わたしの心の奥底にあった強烈な願いでした。
絶対に叶うという保証はないけれど、胸にいつも希望を抱いていることはとても大切だと思います。わたしも、死にたいという思いの奥に、元気になりたいというほんとうの気持ちを大事に大事に持っていました。痛みとかゆみに消されてしまいそうになりながら、あの小さな希望の火を絶やさずに灯していたことは、わたしが元気になれたことの理由の一つだと思います。
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